名古屋高等裁判所 事件番号不詳 判決
主文
被告人遠藤陽之助を懲役一年、被告人丸島浅次郞、同川口初蔵の両名を夫々懲役十月、被告人倉口芳蔵、同丸島良一の両名を夫々懲役六月、被告人池端勘七を懲役八月に処する。
但被告人丸島浅次郞、同倉口芳蔵、同丸島良一の三名に対しては夫々本判決確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用中原審証人〓清義、同前川慶之助、当審証人村上茂利、同中西甚七、同長谷川多三郞、同若林健次郞、同宮本宗一同中村政之丞、同片岡由太郞、同瀨野教真に各支給した分は被告人六名の当審証人宇田高三郞、同中川藤吉に各支給した分は被告人池端勘七を除く爾余の被告人五名の、当審証人駒田修、同間柄亀助、同門松次郞に各支給した分は被告人池端勘七同丸島良一の両名を除く爾余の被告人四名の、当審証人天花寺勇五郞、同伊藤善吉、同杉本己三郞、同巽七郞に各支給した分は、被告人遠藤陽之助、同池端勘七の両名の、当審証人上田信一に支給した分は被告人遠藤陽之助、同池端勘七の両名を除く爾余の被告人四名の、当審証人中瀨貞三に支給した分は被告人丸島浅次郞、同川口初蔵、同倉口芳蔵の三名の、当審証人服部俊男に支給した分は被告人遠藤陽之助の、当審証人小泉国吉に支給した分は被告人池端勘七の、当審証人東出芳蔵に支給した分は被告人丸島良一の負担とする。
理由
被告人遠藤陽之助は昭和二十年秋頃から日本農民組合三重県聯合会(以下日農県聯と略称する)書記長に就任し、同執行委員長を補佐して同組合事務を掌つて居たもの、被告人丸島浅次郞、同川口初蔵、同倉口芳蔵、同池端勘七の四名は夫々予て肩書地に居住して農業を営み、其の傍ら被告人丸島浅次郞は三重県飯南多気郡の食糧調整委員及日農県聯執行委員長に、被告人川口初蔵は飯南郡花岡町食糧調整委員会委員長及日本農民組合三重県農民協議会花岡支部副支部長に夫々就任し、被告人倉口芳蔵は昭和二十一年九月頃日農県聯花岡支部員となり、次いで同年十一月頃から昭和二十二年一月迄日農県聯書記、同年一月頃から日農県聯花岡支部書記に、被告人池端勘七は日農県聯常任委員及同県一志郡農民協議会責任者に夫々就任したもの、被告人丸島良一は被告人丸島浅次郞の長男であつて、昭和二十一年三月頃から三重県食糧事務所飯南支所花岡出張所勤務の食糧検査技手として主要食糧の検査其の他の事務に従事して居たものであるが、被告人等は孰れも夙に政府が食糧管理法に基いて行つて居た生産農民からの生産米買上方針に関し、政府に於ては従来其の買上の都度、生産農民の生産実収量を全然無視し、政府が独断的な見解から蒐集した資料と非科学的な方法に依つて推定案出した生産見込数量に基き、生産農民から買上ぐべき米の数量を一方的に決定すると同時に、之が買上方を促進する目的の下に、右割当数量に相当する米を完全に政府に売渡した生産農民に対しては、之が報償物質として、肥料、農機具其の他の次季生産に必要な物質を公定価格で配給する旨公約して、右割当数量に依る米の買上方を強行して来たものであつて、政府の右割当数量は生産農民の生産実収量を無視して為された天下り的割当数量であつた関係上、生産農民の生産実収量に照し極めて過重なものであつたのみならず、之を強行せられた生産農民殊に耕作反別一町歩未満を有するに過ぎない中農以下の生産農民に於ては、法令上認められて居た飯用及種子用の自家保有米すら割かねば、之に応じ得ない程不当なものであつたが、是等生産農民としては、一般消費者大衆に対する主要食糧の緊要性に鑑みると共に、次季生産に必要な物質を公定価格で配給する旨の政府の公約を信じ難きを忍び、政府の右割当数量に相当する生産米を政府に売渡したのに拘らず、政府から右公約を履行せられなかつたに加え、極度に低廉な価格で右米を買上げられた為、次季生産に支障を来たしたのみならず、日毎の飯米にすら窮し、悲惨な生活を強いられて来たものであるとの見解を固持し、延いては中農以下に属する生産農民の斯の如き悲惨な生活を打開する為には、須らく是等生産農民に於て、政府の天下り的買上割当に絶対反対し自主的に、其の生産実収量から法令上認められて居る数量の飯用及種子用の保有米を控除した残余の生産米のみを政府に売渡すべき所謂自主供出を断行すると同時に、自主的に供出し得べき右米の中から或一定数量の米を生産調整米として自ら確保し該生産調整米に関する限り、報奨物質と引換えでなければ之を政府に売渡さないこととし、政府をして其の公約に係る報奨物質の配給方を促進させ、次季生産に対する支障を除去すべきであると断じ、斯の如き天下り的割当供出絶対反対、自主供出断行、生産調整米の確保等の運動を実践しようと思惟して居た折柄、昭和二十一年度産米に関し、三重県知事に於て同年十月三日同県食糧調整委員会の議を経て管内各郡市に対する政府の右生産米の買上数量を、次いで同県飯南多気地方事務所長に於て同年十月三十日同郡食糧調整委員会の議を経て同管内各町村に対する前同数量を、同県一志郡地方事務所長に於て同年十一月四日同郡食糧調整委員会の議を経て、同管内各町村に対する前同数量を夫々適式に決定割当するに及び、被告人等は孰れも之を前敍のような所謂政府の天下り的割当であり、殊に飯南郡花岡町及一志郡内の分に付、同生産農民として到底応諾し難い不当なものであると做し、ここに飯南郡花岡町及一志郡内の生産農民間に天下り的割当供出絶対反対、自主供出断行、生産調整米の確保等の気運を釀成し因て同生産農民をして、右割当てられた数量の米を政府に売渡さしめないようにしようと決意し、
第一、被告人遠藤陽之助は、
(一) 昭和二十一年十二月頃一志郡家城町南家城所在採蓮寺に於て開催された農民協議会の講演会の席上、参会して居た農民約百名に対し、同年度産米に対する政府の買上割当は天下り的な不当な割当であるから、之に絶対反対し、生産実収量に基く自主供出を断行すべき旨講演し、
(二) 昭和二十二年二、三月頃同町南家城所在西光寺に於て開催された町民大会の席上、参会して居た農民数十名に対し、前同趣旨の天下り的割当供出絶対反対、自主供出断行並生産調整米を確保し、之に付いては肥料、農機具の如き報奨物資と引換えで供出すべき旨講演し、
(三) 同年五月九日頃飯南郡花岡町所在花岡国民学校に於て開催された同町食糧調整委員会の席上、同委員外参会者数十名に対し、三重軍政部では花岡町の供米問題に今迄立ち入り過ぎたので、今後は此の問題に立ち入らぬ腹らしいから、花岡町の供米問題は一応片附いたものと考えてもよく、従つて、花岡町としては、供米には自主供出で進み、減額補正とか何とか云うて居る間に麦が穫れ、県も此の問題を取捨てることになるが故に、今迄のように県割当を受けず自主供出で引延し策で行けばよい旨説明し、
第二、被告人丸島浅次郞は、
(一) 昭和二十二年二月二十五日頃花岡町駅部田公会堂に於て開催された農民大会の席上、被告人川口初蔵と交々、参会して居た農民二百数十名に対し、政府に於ては農民の欲する肥料、農機具を報奨物資として配給すると公約し乍ら、常に之を履行しないから、我々花岡町の農民としては、政府が其の公約を履行する迄供出米の一部を生産調整米として我々の手で保管すべき旨主張し、右農民をして該生産調整米の数量を反当二斗と決定せしめた上、之を個人の倉庫等に保管せしめ、肥料其の他の報奨物資と引換えでなければ、之を政府に売渡さしめないようにし、
(二) 同年四月二十二日頃前記花岡国民学校に於て開催された農民大会の席上、参会して居た農民其の他約三百名に対し、政府の供出割当に反対し自主供出で押通すべき旨説明し、
(三) 同年五月三日頃前同所に於て開催された農民大会の席上、参会して居た農民百数十名に対し前同趣旨のことを強調し、
(四) 同年同月十六日頃前同所に於て開催された農民大会の席上、参会して居た農民約二百名に対し、生産調整米は報奨物資と引換えでなければ、管理米とする為に<甲>印を押捺して貰うべきでない旨力説し、
第三、被告人川口初蔵は、
(一) 昭和二十一年十二月末頃花岡町公会堂に於て開催された同町食糧調整委員会の席上、参会して居た同委員及増産班長等三十数名に対し、同年度産米に関する政府の花岡町に対する買上割当は天下り的な過重な割当であるから、花岡町としては之を拒否し、生産実収量に基く自主供出を断行すべき旨主張し、
(二) 昭和二十二年二月二十五日頃前記花岡町駅部田公会堂に於て開催された農民大会の席上、被告人丸島浅次郞と交々参会して居た農民二百数十名に対し前記第二の(一)記載のように政府に於ては農民の欲する肥料、農機具を報奨物資として配給すると公約し乍ら常に之を履行しないから、我々花岡町の農民としては、政府が右の公約を履行する迄、供出米の一部を生産調整米として我々の手で保管すべき旨主張し、右農民をして該生産調整米の数量を反当二斗と決定せしめた上之を個人の倉庫等に保管せしめ、肥料其の他の報奨物資と引換えでなければ之を政府に売渡さしめないようにし、
(三) 同年五月九日頃前記花岡町国民学校に於て開催された同町食糧調整委員会の席上、同委員外参会して居た農民等数十名に対し、花岡町としては飽く迄自主供出で進むべき旨力説し、
第四、被告人倉口芳蔵は、
(一) 昭和二十二年四月二十二日頃前記花岡町国民学校に於て開催された農民大会の席上、参会して居た農民其の他約三百名に対し、目下選挙最中であるから、供米問題を喧しく論議することは選挙妨害となる虞がある故、政府割当の引受方を論議するのは選挙終了後迄延期すべきである旨、暗に政府割当引受方の延期を主張し、
(二) 同年五月十六日頃前同所に於て開催された農民大会の席上、参会して居た農民約二百名に対し、同年度産米に関する政府の花岡町に対する買上割当は天下り的な不当な割当であるから、之に絶対反対し、花岡町としては其の生産実収量に基く自主供出で進むべきであり、又政府の公約して居る報奨物資を確保する為、飽く迄之と引換えでなければ生産調整米を政府に売渡すべきでない旨強調し、
第五、被告人池端勘七は、
(一) 昭和二十一年十月末頃一志郡中川村国民学校で開かれた同郡農民協議会拡大会議の席上、参会して居た農民数十名に対し、天下り割当供出絶対反対、自主供出断行並生産調整米の確保を主張し、且一志郡としては反当一斗の生産調整米を確保すべき旨強調し、
(二) 同年十二月頃前記採蓮寺に於て開催された農民協議会の講演会の席上、参会して居た農民約百名に対し、同年度産米に関する一志郡に対する政府の買上割当は天下り的な不当な割当であるから、之に絶対反対し、生産実収量に基く自主供出を断行すべき旨講演し、
(三) 昭和二十二年一月頃一志郡家城町南家城所在国民学校で開催された農民協議会の講演会の席上、参会して居た農民約二百名に対し、前同趣旨の天下り的割当供出絶対反対、自主供出断行並生産調整米を反当一斗の割合で確保し、之に付いては、肥料、農機具の如き報奨物資と引換えで供出すべき旨を講演し、
(四) 同年三月二十日頃同郡米之庄村久米所在公会堂に於て開催された同村農民協議会大会の席上、参会して居た農民数十名に対し前同趣旨の講演を為し、
第六、被告人丸島良一は、
(一) 昭和二十二年四月十三日頃前記花岡町国民学校に於て開催された食糧調整委員会の席上、参会して居た同委員等数十名に対し、供出が喧しくなつて来たが、花岡町としては県割当をすれば、強権発動の対象となるから県割当を受けずに、従来の自主供出を意義あらしめる為、協力供出で、県の割当に近づくようにし度い旨発言し、
(二) 同年四月二十二日頃前同所に於て開催された農民大会の席上、参会して居た農民其の他約三百名に対し、県の反当割当と花岡町の反当実収量とを説明して、県の買上割当を天下り的な過重なものと断じた後、県は食糧支所から花岡町の実収予想や検見の結果に関する公文書を入手して居るのであるから、之を偽造するのでなければ、斯の如き過重な割当を為し得ないのであり、従つて花岡町としては断じて斯かる過重な県の割当に応ずべきでない旨を力説し、
(三) 同年五月十二日頃花岡町所在農業倉庫附近に於て、同町大字田村居住の農民宇田高三郞外十数名から、同人等が予て生産調整米として確保して居た昭和二十一年度産米約六、七十俵を現に提出されて、之を政府に売渡すに付管理米となし得るように、<甲>印を押捺して欲しい旨申出でられ、之を拒否し得べき何等正当の事由が無かつたのに拘らず、即時同人等に対し、現在は未だ生産調整米に<甲>印を押捺すべき時期でない旨申向けて、同人等の右申出を拒絶し、
以て被告人等は、其の都度不特定多数の農民に対し、昭和二十一年度産米に付食糧管理法の規定に基く命令に依る政府に対する売渡を為さないことを煽動したものであつて、被告人等の右各所為は夫々犯意継続に係るものである。
証拠を按すると、
判示冒頭事実は、
一、被告人等が夫々当公廷に於て為した右冒頭事実中三重県知事、同県飯南多気地方事務所長並同県一志郡地方事務所長が夫々判示の日に判示の買上数量を適式に決定割当を為した点を除き、各自の判示関係事実と同趣旨に帰着する旨の供述
一、原審証人片柳直言に対する証人訊問調書中同人の供述として、自分は昭和二十一年六月頃から食糧管理局長官として、農林大臣の指揮を受け主要食糧の管理即ち之が集荷配給計画に基く一切の供出すべき食糧の買入及売渡に関する事務を掌つて居るものであり、主要食糧の管理方針としては、先づ自分が各府県知事と協議の上各府県に割当るべき案を作り、農林大臣が之を決裁して、各府県に之が割当を為し、次いで各府県知事は各市町村長を通じて各農家に割当てるのである。そして昭和二十一年度産米の政府割当数量は二千八百六万石位であつたが、此の数字を決定するに付いては、各府県から来た生産見込の報告と、農事試験場及専門家の意見を聞いたり、過去の実収から押して、其の年の天候情況なり肥料等を参酌し、過去の統計から科学的推論を下して、どの程度の生産になるかどうかを判断し、両者を睨合せて決定したが、其の間各府県の凸凹をなす為、各専門家を各府県各地方に出して均衡を取つたのである。斯くて三重県に対しては、同年九月九日米並雑殼の各買上割当を決定した。次に自主供出、生産調整米に付いての自分の見解であるが、自分の考えとしては所謂正式に食糧調整委員会に出さないで、単に一定の会合で割当がなされても、之は食糧管理法に基く割当でなく、又実収割当をしたとしても、之も食糧管理法に出て居る割当でないから、仮令其の結果に於て実数が政府割当に合致して居ても同断である。斯様に其の正式の手続がない以上、実体的には同数量を出す相談が出来て居ても食糧管理法上の割当でないと解釈するが故に所謂自主的供出は数量それ自身が政府割当に合致していても正式の割当でない。而して農家としては政府以外には生産米を売渡し得ないのであり、自分の見解からすれば生産調整米を持つているは尚之が所有権が農家にあると解する外ない。従つて食糧管理法の制度として所謂生産調整米は之を認め難いものと解する旨の記載
一、当審第四回公判調書中証人村上茂利の供述として、自分は昭和二十一年二月五日から同年十一月二十六日迄三重県庁に食糧課長として勤務し、其の間地方長官指導の下に昭和二十一年度産米に付ての県内供出割当に関する事務等を掌つて居たが、其の際政府から三重県に割当られた供出数量は百三十七万六千七百五十九石であり之に付三重県から飯南多気両郡への割当数量は米雑穀を合せ計九万六千九百八十九石であつて該数量は法定の保有米と種子とを差引いたものである。県に於て該割当をするに際しては、先づ生産見込量を推定し同数量から農家保有米と種子とを控除した数量を政府の買上可能数量とした。而して右の生産見込数量を推定するには、作附面積を基礎に、土地の生産力をデーターとし、施肥量、天候気象の状況を勘案して、之を算出したが、勿論之は机上案であるが故に、之が実際とマツチするか怎うかを食糧検査所係官が実施した検見、坪刈等の結果報告とも突合せ、県の生産見込量を決定したのである。斯くして県としては自分の在職中同年九月二十五日に県食糧調整委員会を開き、同席上、割当方法と生産見込量の算定要領に付協議を乞うたところ、其の割当要領に付いては当初から何人も異論がなく、又生産見込量の算定要領に付いても、当時県に於て考えて居た算定方式が合理的で尤も科学的な方法であるとして、大多数の委員の賛成を得た。依つて県に於ては其の後地方事務所単位のブロツク会議を開いて、夫々生産見込量を検討算出し、大体案が纏つたので、同年十月三日再び県食糧調整委員会を開き、之が協議を願つた。其の際自分は県で作成し、予め各委員に渡してあつた未買入表其の他米買入計画要領に基いて説明したが、各郡選出の委員中には県全体を見ずに、自己の郡のことのみを見て、割当が過重だと反対する人もあつた。夫れで、県としては各委員に対し仰せ御尤もであるが、県全体から之を見て、如何に割当を修正すればよいかと訊ねたところ、之に対し誰からも案が出なかつた。斯様に県の腹案に対し誰も根本的な具体案を示さず、自己出身の郡市割当に付反対する程度で時間を費し、一旦休憩に入り其の間県側は地方事務所長の意見を聴いた上、再開したが、大勢は県の案に対し具体的修正案なく、県割当は一応均衡が取れて居ると謂うことで、県の割当案は確認された。元より此の供出割当は県知事の行政行為であり、県食糧調整委員会は諮問機関で決定権が無いので、自分等は大体此の程度でよかろうと判定し、当日の委員会を終つた旨の記載
一、当審第四回公判調書中証人中西甚七の供述として、自分は昭和二十年四月十七日から引続き現在迄飯南多気地方事務所長を致して居るが、県に於ては、昭和二十一年十月三日県食糧調整委員会を開いた後同年十月十五日地方事務所長を集め、正式に管内各地方事務所に割当てた昭和二十一年度産米買上数量を発表した。之に依ると県が当飯南多気地方事務所管内飯南多気郡の分として割当てた生産見込数量は米と雑穀合せて十七万四千九百十石で、其の中から飯用及種子の保有量を差引いた九万六千九百八十九石が供出割当量であつた。其処で自分は同年十月三十日に管内の食糧調整委員に参集して貰い、県割当の承認を求めたところ、同委員中から県の生産見込量が多過ぎるとか割当が過重だとか種々意見も出たが、同日夕刻之が割当の承認を得られたので、其の翌日飯南多気両郡の各町村長を招集し、同席上に於て、前日の食糧調整委員会で種々議論の出たことを報告し、結局了解を得たから之に基き各末端割当をして貰い度いと依賴した。其の際花岡町長若林氏も出席して居たが、同町長のみならずどの町村長に於ても各自町村内の供出量が少しでも少いことを望んだのであるが、郡全体の均衡から已むなく右割当を引受けて帰つた。其の結果花岡町としては、其の生産見込量(米と雑穀を合せ)九千二十二石の中種子と飯用を差引いた六千百十四石が供出割当となり、其の反当見込数量は二石一斗八升三合となつたが、之は食糧検査事務所から通知せられた花岡町の反当実収二石一斗八升四合に照して、不当でないと思う旨の記載
一、当審証人瀨野教真が当公廷に於て為した自分は昭和二十一年八月二十八日から昭和二十二年二月十八日迄三重県一志郡地方事務所長を勤めて居たが、其の間県では昭和二十一年度産米に付、県下各郡市の各農民層団体、代表者、学識経験者を以て組織させて居た県食糧調整委員会に諮問した後、各郡に之が供出割当をして来た。一志郡に対する其の割当が、県から一志郡に下されたのは、同年十月末頃であつたが、之に関し一志郡地方事務所としては、郡食糧委員会を開き同年十一月四日郡内各町村に対する右供出割当を決定して、之が割当を各町村長に持ち帰つて貰つた。そして自分は昭和二十二年二月十八日県知事官房勤務になる迄各町村の右供出方に努力したが、其の間本件の被告人等が、政府の天下り供出割当に反対して、自主供出運動を一生懸命にやつて居たことを承知して居り、殊に農民組合員が多数居住する地方に於ては、自主供出を主張して、其の自主供出量すら完納しないと謂うような状態であつた。夫れで自分達としては、農民に対し自主供出も結構だが、先づ自主供出量を完納して貰つて、其の残りは其の後で御相談しましようと呼び掛けて居たような次第である旨の供述
を総合して認め、
判示第一の(一)の事実及判示第五の(二)の事実は、
一、被告人池端勘七が当公廷に於て為した判示第五の(二)の事実と同旨の供述
一、当審第四回公判調書中証人天花寺勇五郞の供述として自分は日を覚えてないが、昭和二十一年の秋過ぎの寒い頃一志郡家城町南家城の採蓮寺で開かれた農民協議会の講演会に出席した。其の時百人許り集つて居たが、同席上被告人遠藤陽之助、が政府の天下り割当供出は絶対反対で、実収に基く自主供出を断行すべきであると謂う話をしたが、其の要旨は実収から食糧と種子とを引いた残りを全部出すのが自主供出であり、政府割当は花岡町の実収よりも過重であるから実際穫れぬものは出し得ない。又反別の少いものは多く出せぬが、反別を多く作つて居れば沢山供出出来る訳だから、全体としては天下り的政府割当よりも自主供出の方が多く供出され得るので、政府割当には絶対反対だとのことであつた。
尚其の時被告人池端勘七も出席して居り、同席上遠藤陽之助と同趣旨の話をした旨の記載
一、当審第四回公判調書中証人〓七郞の供述として、自分は昭和二十一年十二月頃家城町南家城の採蓮寺で開かれた農民協議会の講演会に出席したが、同席上、被告人遠藤陽之助が政府の天下り的割当に反対して、自主供出の断行に付当局に対し政府割当が過重であり、従つて之を供出すれば次季生産が出来ぬ故実収額から保有米と種子と差引いた残りを全部供出すると謂うことを要求すべきであると謂う趣旨の話をした。尚其の時被告人池端勘七も出席して居り、同席上、同人からも遠藤陽之助と同趣旨の話があつた旨の記載
一、原審第七回公判調書中証人〓七郞の供述として、自分は昭和二十一年六月から日本農民組合三重県聯合会家城支部の委員長をして居るが、同支部では五、六回会合を行い、同年十二月中旬家城町の採蓮寺で開いた会合には、本部から被告人遠藤陽之助及同池端勘七が出席した旨の記載
一、検事の天花寺勇五郞に対する昭和二十二年六月五日附聴取書中同人の供述として、自分が遠藤陽之助から供米問題で話を聞いたのは昨年南家城の採蓮寺であつたが、此の時農協の方から来たのは、遠藤陽之助池端勘七等であり、遠藤から供米問題に付いて話があつたが其の詳細は自分が警察で述べた通りであり、又池端からも遠藤の話に似た話があつた旨の記載
一、司法警察官の天花寺勇五郞に対する昭和二十二年六月五日附聴取書中同人の供述として自分は昭和二十一年七月頃農民協議会に入会し同年十月から昭和二十二年三月末迄一志郡家城町の食糧調整委員をしているものであるが、昭和二十一年家城町南家城町の採蓮寺で遠藤陽之助から供米問題の話を聞いた。其の時の参会者は農民約百名であり、農民協議会本部から出席したのは遠藤陽之助、池端勘七等であつて、同席上遠藤陽之助は供米問題に付き、本年は農協(農民協議会の意)としては、自主供出で飽く迄進む方針であり此の自主供出とは坪刈や検見等に依つて自主的に実収高を確認し此の実収高から保有米と種籾及反当一斗の調整米を残し残量を供出することであるという説明があつた旨の記載
一、司法警察官の〓七郞に対する昭和二十二年六月七日附聴取書中同人の供述として自分は昭和二十一年十二月末頃と記憶するが、南家城の採蓮寺で開催された三重県農民組合家城支部の会合の席上、遠藤陽之助から農協としては自主供出で進む方針であり県割当のような過重な割当を受ければ、保有米迄出さねばならぬが故に農民はどこ迄も自主供出で進もうという話があつた旨の記載
一、司法警察官の杉本己三郞に対する昭和二十二年六月五日附聴取書中同人の供出として自分は昭和二十一年十二月十日頃かと思うが南家城の採蓮寺で開かれた農協講演会に出席した。此の日の講師は遠藤陽之助、池端勘七外一名の都合三名であり聴取書中に〓七郞、天花寺勇五郞等が居たが同席上遠藤陽之助は百姓は毎年過重な供出割当を課せられて、十分活動の出来ない保有米では増産を望み得ないのであるから一日一人米で四合の保有米を除き自主供出をするのがよいのであり、県割当の如き天下り割当は反対であつて飽く迄実収に依る自主供出をなすべきであると謂う趣旨の講演を約一時間半に亘り話をし其の後池端勘七も三十分位に亘り自主供出の事などをつまり遠藤陽之助の受け売り程度の話をした旨の記載
を総合して認め
判示第一の(二)の事実
一、被告人遠藤陽之助が当公廷に於て為した自分は昭和二十二年二、三月頃家城町南家城の西光寺で開催された町民大会に出席して講演したが、其の内容は第一に供出は飽く迄実収を基礎とした自主供出でなければならず政府では米穀実収高調査要綱に規定したことを自らサボリ、実行しようとしないのであるから、我々の手で之を実行しなければならぬと謂う趣旨の話をし次に生産調整米の件に付いて話したが、之に関しては日農県聯大会で生産調整米を積む決議が出来たので其の決議に基いて其の趣旨を正確に伝えた旨の供述
一、当審第四回公判調書中証人伊藤善吉の供述として、自分は昭和二十二年二、三月頃南家城の西光寺で開かれた町民大会に出席したが同大会には町民三、四十名が出席して居り、同席上で遠藤陽之助の講演があつた。同人の講演の内容は農民としては過重な政府割当を貰つては、生活が立ち行かぬから正確な実収を掴み、其の実収に基く自主供出をして保有量丈は残した方が良いと謂うことと政府に於ては農民に対し供出すれば農機具や肥料を遣るといい乍ら何時も農民を騙して居るから米は管理米であるが故に孰れは出さねばならぬが農民としては此の際幾分か米を積立て農機具や肥料が政府から廻して貰えると謂う見通しがついてから供出すれば力強いではないかと謂う生産調整米の件についてであつた旨の記載
一、司法警察官の伊藤善吉に対する昭和二十二年六月五日附聴取書中同人の供述として、昭和二十二年二月中旬と思うが、一志郡家城町の小学校の講堂で、池端勘七から供米の事に付演説があつたが、其の後十月もたたない内に南家城の西光寺で遠藤陽之助の演説があつた。同席上遠藤陽之助は、天下りの供出は絶対に聞く必要がなく農民としては、保有米四合を取つた残りの米だけ出せばよい。若し此の供米のことで喧しく言つて来たならば農協で解決をしてやろう。又農民としては米が安くて生活がやつて行けないから、どうしても調整米を残さなければならず、此の米は政府が肥料や農機具を呉れたら供出し、呉れなければ出さぬでもよいと謂うことを話した旨の記載
に拠つて認め
判示第一の(三)の事実は、
一、被告人遠藤陽之助が当公廷に於て為した自分は昭和二十二年五月九日頃飯南郡花岡町の国民学校で開催された食糧調整委員会に出席したが其の出席者は五十名位であつたと思う。自分は同席上で、政府は強硬に割当高の供出を実行するよう迫つて居るので、現在としては取敢えず政府の買入対策要綱に基いて、減額補正の要求が出来ることになつて居るから、其の手続を為すべきことを主張した旨の供述
一、当審第四回公判調書中証人駒田修の供述として、自分は昭和二十二年五月九日頃花岡町国民学校で開かれた食糧調整委員会に出席したが、其の時には食糧調整委員、増産班長、産業組合長も来て居り、全部で二、三十名集つて居たと思う。尚同席上に於て遠藤陽之助から、三重軍政部の方では供米問題に付いて深入り過ぎたと言うて居るから、今後花岡町の供米問題には立入らぬ腹らしい故、花岡町としては、供米問題は一応片附いたものと考えて良く、従て今迄のように供米に付いては自主供出で進み、減額補正とか何とか言うて居る間に麦が穫れるし、県も此の問題は取捨てることになるだろうから、今迄の様に県の割当を受けず、自主供出で引延ばし策で行けば良いと謂う意味の話があつたのに相違ない。同委員会に出席して居た森本哲太郞も其の後自分に対し、右委員会で遠藤陽之助から軍政部が余り供出に関与し過ぎたと言うて居ると謂う趣旨の話があつたと申して居た旨の記載
一、原審第五回公判調書中証人森本哲太郞の供述として、昭和二十二年五月九日のことであつたと思うが、花岡町国民学校裁縫室で増産班長及食糧調整委員会の会議が開かれた時、自分も出席した。同席上遠藤陽之助が一寸此処に居る皆さんにお話しますがと前置きしてから、供米問題は選挙の弾圧方針で、選挙は済んだ。だから軍政部は之以上深入りしないと思うから、花岡の人も之迄のように苦しまなくてもよいと思うと述べ、更に農繁期になれば麦も馬鈴薯も取れると謂うような類似の言葉も述べた旨の記載
を総合して認め
判示第二の(一)の事実及判示第三の(二)の事実は、
一、被告人丸島浅次郞が当公廷に於て為した自分は昭和二十二年二月二十五日頃花岡町駅部田公会堂で開催された農民大会に出席したが、同席上多数の農民に依り判示のような決定が為されたことは相違ない。そして其の際政府が今日迄公約を一つも実行して居らぬから、我々としては約束通り報奨物資を貰うことを政府に交渉する為生産調整米を夫々個人の倉庫に積んで置こうと謂う話に定つたのである旨の供述
一、被告人川口初蔵が当公廷に於て為した自分は昭和二十二年二月二十五日頃花岡町駅部田公会堂で開かれた農民大会に出席したが、当日の出席者は二百四、五十名であつた。同席上、自分は食糧調整委員会の委員長としての責任から、曩の委員会で決定された供出量や生産調整米を積むことになつた経過を報告したところ、満場一致で反当二斗の生産調整米を積むことに決議された。此の反当二斗の生産調整米は、農機具等の配給が為されれば、直ちに政府米に切替えられるものであり、又此の米の中から闇売横流が為されると、政府米にする時に困るので、其の数量を確保して置く為各増産班毎に集荷して、夫々保管して居た旨の供述
一、当審第四回公判調書中証人中瀨貞三の供述として、自分は昭和二十二年二月二十五日頃花岡町駅部田公会堂で開かれた農民大会に出席したと思うが、同大会で生産調整米が反当二斗と定められたことに付いても仄に記憶がある。即ち其の際川口初蔵が議長をつとめ、生産調整米に関し、此の米は政府から報奨物資を確実に貰う迄積んで置くと謂う意味の米であるが、之を反当一斗積むか二斗積むかと皆に諮つた結果反当二斗積むことに決つた。
尚其の大会の模様は自分が警察署で述べた通り相違ない旨の記載
一、司法警察官の中瀨貞蔵(同人は前記証人中瀨貞三と同一人と認める)に対する昭和二十二年五月二十四日附聴取書中同人の供述として、自分は昭和二十一年七、八月頃から調整委員をして居るものであるが、昭和二十二年二月頃花岡町駅部田の公会堂で農民大会が開かれた時自分も出席した。此の時議長の川口初蔵から調整米を反当一斗にするか二斗にするかと謂う案が出て反当二斗を残すことに決つた旨の記載
一、検事の片岡由太郞に対する昭和二十二年五月二十二日附聴取書中同人の供述として、自分は昭和二十一年五月頃から花岡町食糧調整委員をして居たが、昭和二十二年五月十二日頃辞任した。昭和二十二年二月頃駅部田公会堂で農民大会が開催され約二、三百人の農民が出席した。其の時丸島浅次郞から一同に対し、農機具と米との価格が不均衡の為、農民は物交米として米を確保しなければならないが、其の数量は何程にするか。又調整米は実収供出数の内からするか、夫れとも夫れ以外の米を出すことにするかと諮り提案したところ、数量は反当二斗で、実収供出の内から、各増産班長が之を集荷して、各増産班毎に之を確保し県から農機具や肥料の配給があつた際之を供出すると謂う決議をした旨の記載
を彼是総合して認め、
判示第二の(二)の事実、判示第四の(一)の事実及判示第六の(二)の事実は、
一、被告人丸島浅次郞が当公廷に於て為した自分は花岡町の集りには殆んど出席していたので、多分昭和二十二年四月二十二日頃花岡町国民学校で開かれた農民大会に出席したと思う。併し其の時は農民大会ではなく食糧調整委員会の会合ではなかつたかとも思う。自分は其の時も多数農民に対し、政府割当に反対して自主供出で押通すべきだと強調した。夫れは花岡町としては、食糧調整委員会で非常な努力をして百二十筆の坪刈、十筆の全刈をして実収高を得たので之以上正しい数字はないと確信して居た為左様に強調した訳である旨の供述
一、被告人倉口芳蔵が当公廷に於て為した自分は昭和二十二年四月二十二日花岡町国民学校で開かれた会合に出席したが、其の四月は選挙月であり、丸島浅次郞も県会議員に立つて居り、其の他にも自分等の支持する者が夫々候補に立つて居て、実に多忙であつた。夫れで右会合の席上町長が割当をしなければならぬと申したが、色々押問答の挙句、結局自分が、政府割当を引受けるのを選挙の終る迄待つて貰うよう県の方に賴んで貰はうではないかと自分の意見を申したところ、皆も之に賛成して其の旨可決された旨の供述
一、被告人丸島良一が当公廷に於て為した自分は昭和二十二年四月二十二日花岡町国民学校で食糧委員と各増産班長が一般大衆の前で、公聴会を開いた際に出席した。其の席上集つた一百姓から地方事務所は如何なる方法で実収を把握し、県割当を各町村へ下したかと質問したのに対し、臨席の地方事務所長が各町村駐在の食糧検査員からの実収高報告書に基き、夫れ丈実収があるものと認め割当てたと答えた。併し元来自分達町村の食糧検査員は前年九月末頃食糧検査所飯南支所長稻葉勝三郞から、夫々生産目標数量の提示を受けたところ、夫れには反収二石二斗八升とあつたように記憶するが、其の際所長から昭和二十一年度産米の実収に付気象の具合は良かつたが、地力を回復せしめる肥料の不足と旱魃の為、作況からも稻作柄からも昨年度に到底及ばないだろうが、実収調査要綱に基いて責任区の反収をしつかり調べて貰い度いと申されたので、自分達は之が調査をしたのである。斯くして其の後も飯南支所から催促があつたので、自分達は各自村の食糧調整委員会が納得した数字で押すことに定まつたが之に対し、飯南支所では、食糧検査員が各自村の実収を其の侭報告して呉れては困るから、支所を助けると思い支所の出した数字を認めて欲しい。殊に此の支所の数字は実際割当の対照にならぬのであるから、実収高に付ては、支所案を認めよと云うて居た。併し自分としては実収予想検見の成績を支所を通じて県へ報告してあり、従て県としては其の実収高に基いて割当をすべきであるのに、県から空数字に基いて割当てて来たのを見ると、食糧支所に於て自分の提出した右報告書を勝手に書き直して県に出して居るのではなかろうか。然りとすれば、公文書偽造と謂う事件が起きる事になるのであるから、之を徹底的に究明しなければならぬと同時に、我々は政府が次季生産に必要な公約物資を寄越す迄必要な数量の米を手許に残して置かねばならぬと考えた。夫れで自分は前述の昭和二十二年四月二十二日の会合の席上、参会者に対し、自分達食糧検査員が前敍のように稻葉所長から生産目標数量の提示を受けてから後の顛末や県の反当割当と花岡町の反当実収量とを説明し、県の割当が天下り的な過重なものであることを明らかにした後、県は食糧支所から花岡町の実収予想や検見の結果に付公文書を以て報告を受けて居ながら斯様な過重な割当をした以上、之は右報告された公文書を偽造するのでなければ出来ないことである。従て農民としては之を徹底的に究明しなければならぬと同時に政府が次季生産に必要な公約物質を寄越す迄、必要な数量の米を手許に残して置くべきであると謂う趣旨の話をした旨の供述
一、当審第四回公判調書中証人長谷川多三郞の供述として、自分は昭和二十二年四月五日花岡町長に当選、同月十二日就任以来引続き花岡町長をして居るものであるが、同年四月二十二日花岡町国民学校で会合を開いたが、同席上丸島浅次郞が出席して居たことは相違なく、同人は同席上に於て、自主供出は正しいものであり、政府割当は過重であるから到底受けられないが、先づ自主供出を完納して政府割当を負けて貰うようにするから、花岡町としては自主供出で行こうと申して居た旨の記載
一、原審第二回公判調書中被告人丸島良一の供述として、昭和二十二年四月二十二日花岡町国民学校で会合が開かれ、地方事務所長、同経済課長、県経済係員等も出席して居た。自分は同席上で、実収予想及検見の成績が県に報告してあるのに、此の様な空数字を割当ることは食糧支所の公文書偽造事件でないかとはつきり申した。夫れは前述のように実収予想及検見の成績が検査員から報告してあるにも拘らず、町村へ割当てられた数量が余りにも空数字であつたので、之は食糧支所で訂正されたと謂う意見から公文書偽造事件でないかと申したのである旨の記載
一、司法警察官の長谷川多三郞に対する昭和二十二年五月二十二、三日附聴取書中同人の供述として、昭和二十二年四月二十二、三日頃の午後花岡町小学校で花岡町の農民大会を開催したが、其の出席者は県食糧課の方と中西地方事務所長や経済課長等で、花岡町からは食糧調整委員、各増産班長、一般農民等約三百名位会同した。司会者は川口食糧調整委員長であり、同人から開会の挨拶があり、最初自分から供米はどうしても政府割当をしなければならないから、自分としては町長の責任に於て遣ると言明して置いた。県や地方事務所からも一応説明があり、自分がどうするか採決をしようと思つた際に、農民協議会県聯合会書記の倉口芳蔵が、只今は全部が選挙に熱中して居るから、選挙終了後迄此の問題を延ばすことを県へ具申すると謂う動議を出し、全員拍手で賛成して之を決議した旨の記載
一、司法警察官の上田信一に対する昭和二十二年五月二十六日附聴取書中同人の供述として、昭和二十二年四月二十二日花岡町小学校の講堂で食糧調整委員会と増産班長の合同会があつたので自分も傍聴に行つたが、地方事務所長や県からも来て居り、地方事務所長は花岡町としても政府割当を末端迄遣つて呉れと話され、之に対し町長は、町長として政府割当を末端迄しなければならぬと云うと、丸島良一が、花岡町の科学的な調査に依る自分の数字と県の割当とは六百石相違があるから地方事務所としては減額すべきであると云い、又倉口芳蔵は選挙最中であるので、供米を喧しく云うのは選挙妨害であるから選挙の済む迄待つて呉れと申した旨の記載
一、司法警察官の豊角伝三に対する昭和二十二年五月二十九日附聴取書中同人の供述として、自分は昭和二十一年四月から増産班長をして居るものであるが、昭和二十二年四月二十二日頃の花岡町の農民大会に出席した。此の大会に付、農協から班長である自分方や班の食糧調整委員方へ、同日午後一時に花岡町国民学校講堂で供米のことに付いて大会があるから班員に出席するように伝えよと言うて来たので、自分は皆の者に伝え同日午後一時から会場に行つたのである。其の日は全部で三、四百名位集り、県から一人と地方事務所からは所長と経済課長が来て居た。同席上長谷川多三郞が、花岡町は県の末端割当をしなければならぬから遣つて呉れと言い、次いで地方事務所長、同経済課長がどうしても県の割当を受けて欲しいと申した。之に対し丸島浅次郞が、町長は割当をすると云うが穫れて居らぬものは出来ないし、政府は公約している肥料、農機具の配給を一寸もして来ぬではないかと云い、其の息子の丸島良一が、花岡町の実収石数はこうで、割当はこうだと反当の石数を述べて、実収予想や検見の成績は県に報告して居るのに、此のような空数字を割当てることは、食糧支所の公文書偽造事件ではないかと言うと、参加者の中相当拍手を送るものがあつた。次いで倉口芳蔵から、今割当を遣れと謂うのは、選挙妨害だから選挙の済む迄待つて呉れと申した旨の記載
を彼是綜合して認め、
判示第二の(三)の事実は、
一、被告人丸島浅次郞が当公廷に於て為した同判示と同旨の供述
一、司法警察官の長谷川多三郞に対する昭和二十二年五月三十日附聴取書中同人の供述として、昭和二十二年五月三日頃駅部田の公会堂で農民大会があつたが、其の時約百五十名位出席した居た旨の記載
一、検事の宇田高三郞に対する昭和二十二年五月二十二日附聴取書中同人の供述として、丸島文子(成次郞及良一の意味)は委員会其の他で常に天下り割当には反対で、我々としては飽く迄自主供出で行くと謂うことを言い振らして居た旨の記載を綜合して認め、
判示第二の(四)の事実及判示第四の(二)事実は、
一、被告人丸島浅次郞が当公廷に於て為した自分は昭和二十二年五月十六日頃花岡町国民学校で開かれた農民大会に出席し、同席上で多数農民に対し、生産調整米は肥料の配給と引換えでなければ政府へ売渡してはならぬと申した旨の供述
一、被告人倉口芳蔵が当公廷に於て為した自分は昭和二十二年五月十六日頃花岡町国民学校で開かれた農民大会に出席し、同席上に於て、自主供出を主張したのに相違なく、又其の当時自分としては花岡町民が全部政府に生産調整米を売渡すとしても、自分丈は報奨物資と引換えでなければ之を売渡さぬと心で思つて居たことも相違ない旨の供述
一、当審第四回公判調書中証人駒田修の供述として、自分は昭和二十二年五月十六日頃花岡町の国民学校で農民大会が開かれた際出席したが、其の時の参会者は二、三百人であつたと思う。同席上倉口芳蔵が花岡町は割当と実収とに差があり、割当を完遂する場合には牛馬を売る人や気狂が出たり、自殺する人が出来るから政府の割当は絶対反対で自主供出で進むべきだと云い、更に同人は次季生産を確保する為に、政府から怎うしても公約の報奨物資を貰わねばならぬ。殊に従来政府は空手形ばかりで、一つも実行せぬから、今度は報奨物資と引換えでなければ、生産調整米は政府に売渡し、管理米とすることは出来ぬと謂う意味の話もした旨の記載
一、当審第四回公判調書中証人中瀨貞三の供述として、自分は昭和二十二年五月十六日頃花岡町国民学校で開かれた農民大会に出席したが、其の大会の模様は自分が警察署で申述べた通り相違ない旨の記載
一、司法警察官の中瀨貞蔵(同人は前記証人中瀨貞三と同一人と認める)に対する昭和二十二年五月三十日附聴取書中同人の供述として、自分は昭和二十二年五月十六日花岡町小学校で開かれた農民大会に出席したが、其の席で、倉口芳蔵から、政府が縦令割当をしても、自主供出が正当なものであるから我々は自主供出で遣つて行こうと謂う話があり、其の後丸島浅次郞からも、倉口芳蔵の話と同じような意味のことを話した。尚同席上一農民から調整米は怎うなるのだ此の際<甲>にしたら怎うかとの動議が出たが、其の際倉口芳蔵が立つて、調整米を今<甲>にすることは非常に不利であるから、皆んなも良く考えて呉れと申した旨の記載
一、司法警察官の上田信一に対する昭和二十二年五月二十六日附聴取書中同人の供述として、自分は昭和二十二年五月十六日花岡町の学校で農民大会があつたとき出席したが、同席上で丸島浅次郞、倉口芳蔵が交々立つて、生産調整米は<甲>にせずに置くようにとの話をし、其のように決つた旨の記載
一、検事の門松太郞に対する昭和二十二年六月一日附聴取書中同人の供述として、自分は昭和二十二年五月十六日の農民大会であつたと思うが、夫れが農協の主催で花岡国民学校講堂であつた時、調整米を<甲>にするか怎うか、県割当を実行するか怎うかと謂うことで議事を進めた。其の時町長が自分は県の出店であるから怎うしても県の割当を十八日迄に割付けるから、増産班長は夫れを末端へ、全部割当てて貰い度いと謂うようなことを申したところ、倉口芳蔵が演壇に出て反対演説をしたが、其の大要は、町長は花岡町の事情を知らない。自分は絶対反対だ。県の割当は我々がやつた実収見込調査から見て過重であるが故に、県に決議文を突付けよ。自分の言うことに賛成の者は挙手せよと謂うことであつて、自分から決を採り皆が夫れに賛成した。尚此の大会で自分は調整米を直に政府に売渡すよう動議をしたところ、之に対し倉口芳蔵等が、是迄幹部は肥料等を取る為、調整米を積んで努力して来たので、今無条件で<甲>にすることは反対だと申した旨の記載
一、検事の被告人川口初蔵に対する昭和二十二年六月一日附聴取書中同人の供述として、昭和二十二年五月十六日花岡町国民学校講堂で開かれた花岡町農民大会は農協花岡支部の名に持たれたもので、供米問題を議題とした。同大会で倉口芳蔵が演壇に上り、農民に対し要するに実収見込調査に基く自主供出や生産調整米管理は正しいことで、飽く迄も之を実行して行くべきだと謂う意味のことを述べた旨の記載
を彼是綜合して認め
判示第三の(一)の事実は、
一、被告人川口初蔵が当公廷に於て為した自分は昭和二十一年十二月末頃花岡町駅部田公会堂で開かれた食糧調整委員会に出席して議長をしたが、同席上、花岡町に対する昭和二十一年度産米の政府割当数量が発表されたけれども、之を拒否して自主供出量を二石三斗二合と決定した。此の時の会合には十二名の食糧調整委員と二十五名の増産班長が集つて居たと思う旨の供述
一、検事の被告人川口初蔵に対する昭和二十二年五月二十二日附聴取書中同人の供述として、昭和二十一年十二月末頃駅部田の公会堂で代理町長の名で食糧調整委員会が開かれ大部分の委員が集つた。自分は其の時に議長席に着き、実収量を見出した以上、夫れに基いて供出方法を考えねばならないのであるが、怎ういう風にしたらよいかと諮つたところ、食検から反当平均二斗三升二合の報告があり、更に町長代理久野助役から県の割当量の発表があつた。
夫れで自分は此の割当を、我々が掴んだ実収に依つて遣るべきか、県の割当量に依つて遣るべきかを諮つたところ、自主供出で行くことに全員賛成であつたので、県の割当に依らず自主割当を実行することを決定し、増産班毎に割当てることになつた。更に実収割当をするにしても保有米を差引いた六割を全部供出しなければならぬとすれば、農民の経済が保たれないが、此の問題は怎うするかと発言する者があり、夫れに対して又九月の県の農民大会で生産調整米の話が出て居るではないかと発言するものが出たので、自分は自主供出は割当として出して貰はねばならぬが、今誰かが言つたように、生産調整米を積立てて置けばよいと思うが、そういうように、供出米の中から生産調整米を確保して、自主割当量を出すようにして貰い度いと思うが怎うかと諮つたところ、皆もそういう方法で供出しようと謂うことに決定した旨の記載
一、司法警察官の北村辰蔵に対する昭和二十二年五月二十三日附聴取書中同人の供述として、昭和二十一年十二月末頃の花岡町の調整委員会の席上、当時の助役久野さんから、県の割当数字が発表され川口調整委員長から委員に県の割当を実施するか、自主割当を実施するかと謂うことを諮り、全員が自主割当実施に賛成して自主割当を決定した旨の記載
一、司法警察官の三宅文三に対する昭和二十二年五月二十四日附聴取書中同人の供述として、昭和二十一年十二月末頃駅部田の公会堂で調整委員会があつたが、其の時久野助役が県割当数字を自分達に発表し、次いで川口初蔵から食検の見た反当平均二石三升二合の自主割当の報告があり、県割当は非常に重いから自主割当に依るかと皆に問うたところ、川口が申した自主割当に賛成し、夫れで県割当は一時放つて置くことになつた旨の記載
一、検事の宇田高三郞に対する昭和二十二年五月二十二日附聴取書中同人の供述として、自分は昭和二十一年九月頃から花岡町の食糧調整委員をして居たが、昭和二十二年三月頃辞任した。自分は其の間調整委員会に、昭和二十一年十一月末頃と同年十二月頃と昭和二十二年三月四日の三回位しか出席して居らぬが、川口初蔵は調整委員会の席上でも、亦其の他の場所でも、一般の者に対し、天下り割当を受ける訳にはいかず、我々としては自主供出を断行するのであると謂うことを公言して居た者の記載
を彼是綜合して認め、
判示第三の(三)の事実は、
一、被告人川口初蔵が当公廷に於て為した自分は昭和二十二年五月九日花岡町国民学校で開かれた食糧調整委員会に出席したが、其の時自分は集つて居た委員等数十名に対し、四月は選挙等の為供出米の納期も既に経過して居るが、実収に基く供出で行こうと満場一致で定めた供出であるから、此の供出額を供出して貰はねばならぬと力説した旨の供述
一、検事の被告人川口初蔵に対する昭和二十二年五月二十三日附聴取書中同人の供述として、昭和二十二年五月九日花岡小学校で町長招集の食糧委員会があつて、町長から政府割当の供米問題に付委員会の協議を求めたが其の時自分は議長をしたと思う。そして其の時自分達調整委員としては、政府と我々の実収見積と喰違いのある点に於いて、政府割当に応じられないことを述べた旨の記載
一、司法警察官の新良広蔵に対する昭和二十二年五月二十九日附聴取書中同人の供述として、昭和二十二年五月十日過ぎかと思うが、花岡小学校で調整委員会が開かれた時、長谷川町長から、県割当と花岡町の自主割当に依る実収高とには、六百二十石の差があるがどうしても県割当をして貰い度いと謂う話があつたところ、誰であつたか判然記憶しないが、当町は実収に基く割当であるから、県の空数字は叶はんと申し、多数も之に賛成したが、町長から飽く迄も県割当を受けて貰い度いと意見を述べたので、議長の川口初蔵が決を採り、自主供出を認めて貰うことに知事に陳情しようと謂うことになつた。之は換言すれば県割当を返上すると謂うことにもなると思う旨の記載
一、検事の丸島浅次郞に対する昭和二十二年六月四日附聴取書中同人の供述として、川口初蔵は花岡町の食糧調整委員長であつて、昭和二十一年九月二十九日の松阪国民学校に於ける農民大会にも出席し、大会の模様も良く知つて居たので、同大会に於ける自主供出の断行、調整米の積立と謂う方針に基き指導して居た旨の記載
一、検事の宇田高三郞に対する昭和二十二年五月二十二日附聴取書中同人の供述として、川口初蔵は食糧調整委員会の席上でも、其の他の場所でも、一般の者に対し我々としては天下り的割当を受ける訳には行かず、自主供出を断行すべきであると公言して居た旨の記載
を彼是綜合して認め、
判示第五の(一)の事実は、
一、被告人池端勘七が当公廷に於て為した自分は昭和二十一年十月二十五、六日頃一志郡中川村国民学校で同郡農民協議会拡大会議が開かれた時、同会議に出席した。
自分は同会議の席上、天下り割当供出絶対反対、自主供出断行を強調し、更に三重県連大会に於て、肥料農機具等必要物資を配給すると謂う政府の公約を実行させる為、生産調整米を反当二斗と決定したことを報告した後、此の一志郡としては怎うするかと提案したところ、一斗と言う人も三斗と言う人もあつたが、自分が採決した結果結局一志郡としては反当一斗と謂う決議が成立した旨の供述
一、当審証人小泉国吉が当公廷に於て為した自分は昭和二十一年十月頃一志郡中川村国民学校で開かれた一志郡農民協議会拡大会議に出席したが、其の時十五六人乃至三十人位の農民が集つた。そして同大会に於て池端勘七から生産調整米を反当一斗とする旨を提案して其の旨決議をしたが其の際池端勘七は生産調整米に関し之は農機具、肥料等の農家必要物資を約束通り貰えるように交渉する為供出米の中から一定場所に積んで置くものであると謂う趣旨の話があつた旨の供述
一、司法警察官の田川勇太郞に対する昭和二十二年六月十日附聴取書中同人の供述として、昭和二十一年十月頃であつたと思うが、一志郡中川村の小学校で同郡農協拡大会議が開かれた時自分も出席した。其の集会者は農協幹部と一般の人で合計三、四十人であつた。
其の席上で話をしたのは主に池端勘七であつて、同人から我々は働ける丈の最低保有量平均四合の米を確保して、次季生産に勤めねばならぬから政府割当のような空数字的な天下り割当は止めて、実収調査に基く自主供出を断行するのであり、又生産調整米として反当一斗を各個人でなく、字で一定の場所に共同保管し、之は供出の一部ではあるが、肥料や農機具を配給して貰つたならば、夫れを見返りとして初めて供出すべきである。之は農協の方針であるが、中川村としても此のようにして遣るべきであると謂う意味の話をした旨の記載
に拠つて認め、
判示第五の(三)の事実は、
一、被告人池端勘七が当公廷に於て為した年月日の点は判然しないが、自分が家城町南家城の国民学校で講演したことは相違なく、其の講演の内容は、天下り割当供出絶対反対、自主供出断行と謂う点を強調したものであつた旨の供述
一、当審第四回公判調書中証人杉本己三郞の供述として、自分は昭和二十二年一、二月頃南家城の国民学校で農民協議会の講演会が開かれた時に出席したが、其の時池端勘七から、農家の決定保有量の問題と生産調整米を反当どれだけ積むかと謂うような話を聞いたと思うが、今日では深く記憶がない。併し此の点に関し、自分が警察署で申述べたことは、其の通り相違ない旨の記載
一、司法警察官の杉本己三郞に対する昭和二十二年六月九日附聴取書中同人の供述として、昭和二十二年一月頃であつたと思うが、家城町小学校講堂で農協や供米に関する講演があつたので、自分も其の話を聞きに行つた。其の日は午後一時頃から始り、午後四時頃終つたが、町の農民二百名位が集つた。そして其の席上池端勘七から、農協は天下り的な県割当には反対であつて飽く迄も実収調査に基く正しい自主供出をするものであり、之には大人も子供も平均四合の保有米即ち農民として増産に支障のない程度の食糧を確保して、尨大な県割当ではなく、実収に伴う自主供出を断行するものであり、又肥料や農機具の購入を団体交渉に依つて受ける為、自主供出米の一部を生産調整米として反当一斗を一定の場所に保管して、之を物資の配給があつた時初めて供米として管理米に入れるべきであると謂う要旨の話があつた旨の記載
に拠つて認め、
判示第五の(四)の事実は、
一、被告人池端勘七が当公廷に於て為した自分は昭和二十二年三月二十日頃一志郡米の庄村久米の公会堂で、同村農民協議会の大会が開かれた時、同協議会の委員長として之に出席し、講演をしたが、其の講演の内容は、今日の供出割当制度が官僚の一方的天下り割当で過重なものであるが故に、農民としては之に苦しんで居るのであるから、実収に基く自主供出を断行すべきであると謂う趣旨であつた旨の供述
一、当審第四回公判調書中証人西川昭一の供述として自分は昭和二十二年三月二十日よりも二、三日前のことであつたと思うが、久米の公会堂で開かれた農民協議会の大会に出席し、同席上池端勘七の講演を聞いた。同人の其の講演の内容は政府の割当が毎年重く其の割当にもムラがあり、富農連中が中農以下の保有米迄も持つて了うので、五反以下の百姓が塗炭の苦しみをし、之が為諸君も青麦を刈つて穗を焼き、之を食べたではないか。こんな事ではいけないから確実な実収を把握して保有量を差引き残りを自主供出することに、先の郡協議会でも決定して居るから君達も此の方法で遣つては怎うか之が為には確実に実収量を出して、夫れから保有飯米と種子とを差引き、其の残り全部を供出することにして、飯米丈は是非確保したいと謂う趣旨のことと、次に生産調整米に関し郡協議会では生産調整米を反当一斗宛供出米の中から積むことに決定したが此の生産調整米は政府に公約物資を要求する手段であり、政府に対し怎うしても公約物資は之を農民に渡さねばならぬものだと感じさせる為に積むものであると謂う趣旨のこととであつた。尚其の大会に参集したものは五十人前後であつた旨の記載
一、当審証人北川栄三郞が当公廷に為した自分は昭和二十二年三月二十日頃一志郡米の庄村久米の公会堂で、同村農民協議会の大会が開かれた時に出席したが、其の時池端勘七から講演があつた。其の講演の趣旨は之を一言にして申せば、今日政府は一方的に割当をして供出せよと言うので、夫れが為農民は当然政府が認めて居る飯米迄も喰込んで、供出しなければならず、実に苦しい生活をする訳で、こんな事では次年度の生産を上げることが出来ないから、次年度の生産を上げるには怎うしても、農民としては飯米と種子を確保しなければならぬのであり、従て実収を確実に掴んで其の中から農家の保有米と種子とを残して、全部供出すべきであり、尚政府に於ては、米を安く買上げて、報奨物資を渡すと言い乍ら、一度も之を実行せぬので、農民としては到底遣つて行けないのであるから、政府から確実に報奨物資を貰う為政府管理米の中から一部を積立て政府から確実に報奨物資を貰える当てがついた時に、之を政府に売渡すことにしたならば怎うかと謂うことであつた旨の供述
に拠つて認め、
判示第六の(一)の事実は、
一、被告人丸島良一が当公廷に於て為した判示同旨の供述
一、司法警察官の森本哲太郞に対する昭和二十二年五月二十四日附聴取書中同人の供述として、自分は昭和二十二年四月十三日だつたと思うが、花岡町国民学校で食糧調整委員会が開かれたので、同委員会に出席した。同席上で川口初蔵、丸島良一等が、段々供出が喧しくなつて来たが、従来の実収供出を意味あらしめる為、県割当を受けずに、協力供出で県の割当に近付くようにしたい。県割当をすると、強権発動の対象となるから、どこ迄も協力供出としたい旨を話したが、其の時の会同者は、委員増産班長等で六十名位であつた旨の記載
に拠つて認め、
判示第六の(三)の事実は、
一、被告人丸島良一が当公廷に於て為した自分は昭和二十二年五月中頃花岡町大字田村の農民から生産調整米を出されて、之を管理米にして呉れと言はれたが、夫れに対し、生産調整米は怎うしても出して貰う米であるが、今は夫れを管理米にする時期でないと思うから、時期を待つて貰い度いと賴んだ。抑々生産調整米を積もうと謂う動機は、政府が農機具、肥料等次季生産に必要な物資を公約通り配給せぬことにあるのであり、此の公約を実行して貰はねば、農民としては、夫等の物資が農産物の価格と非常に不均衡な状況にある折柄、到底次季生産が不可能であるので、之が公約物資の配給方を要望して居たのである。夫れで自分は怎うかして農民の此の要望を通るようにして上げたい。又通さねばならぬと思い農民の要望に協力する意味で、前述のように賴んだ旨の供述
一、当審第四回公判調書中証人宇田高三郞の供述として、自分は昭和二十二年五月頃になつてから、他村が既に供米を完納して居るのに、花岡町丈が未完納ではいけないので、食うものを食はなくとも供出したい気持から、生産調整米を花岡町の農業倉庫へ運んだ際、農業会の事務員東出某に、自分の気持を話し、生産調整米を管理米に直して受取つて呉れと申したところ其処へ丸島良一が来て、自分の要求を聞いた上、調整米を今管理米に直すのは具合が悪いから、一寸待つて呉れと申した。夫れで自分は調整米を管理米にすることが出来ぬかと思い困つて了い殊に調整米を管理米にすることは、自分の部落民一般の希望であるからとも言い、怎うか管理米にして呉れと申して居たところ、川口初蔵が来て、何の話かと申したので自分が同人に対し、丸島良一と話をして居る経緯を話すと、川口が夫れ程調整米を管理米に直したいと言うのであれば、此の際管理米に直して遣つたら怎うかと丸島良一に申したので、同人もやつと調整米を管理米に切替えて呉れたのである。其の際自分は田村部落の農民十四、五名と田村の増産班に積んであつた百二、三十俵の生産調整米を花岡町の農業倉庫へ運んだのである旨の記載
一、当審第四回公判調書中証人上田信一の供述として、自分は昭和二十二年五月十二日頃大黒田の農業倉庫から生産調整米を積んで、花岡町の農業倉庫へ持つて行つたが、其の時宇田高三郞も自分より一足先に米を曳いて行つて居り、農業会で、丸島良一に<甲>を打つて呉れと話して居たところ、丸島良一が今日のところは待つて呉れと申して居た。すると其処へ川口初蔵が来て、丸島良一に対し本人が納得して管理米にして呉れと云うのであれば、管理米にして遣つたら怎うかと申したので、丸島良一も承知して管理米として入庫の手続をした旨の記載
一、当審第四回公判調書中証人東出芳蔵の供述として、自分は昭和五年頃から花岡町の農業会に勤めて居る者であるが、昭和二十二年五月二十二日頃花岡町田村の農民が各増産班で積んで居た生産調整米を持つて来て、政府に売渡すべく管理米にして呉れと言うて来たことがあつた。其の日は花岡町農業会の入庫日であつたので、自分は政府管理米の入庫を扱つて居たところ、田村の農民宇田高三郞外十二、三人が生産調整米を農業会に持つて来て、同所で丸島良一に<甲>を打つて管理米にして呉れと申して居たのに対し、丸島良一が今日のところは<甲>を打つのを待つて呉れと言うて居た。其処へ川口が来て、調整米は政府のものではないから、之は、政府の方へ肥料等必需物資の交渉をして、其の話がついてから、政府米にしては怎うかと申したが、宇田の方から<甲>を打つて置いて貰い度いと申したので、川口が丸島良一に対し、夫れ程管理米にして貰い度いならば、管理米にして遣つたら怎うかと申したので、丸島良一も政府管理米にすることを承知し、其の場で宇田等が持つて来た米に<甲>を打つて管理米として入庫した旨の記載
に拠つて認め、
被告人等の各犯意継続の点は、被告人等が夫々短期間内に同種の行為を反覆して行つた事跡に徴して明かであるから、
判示事実は全部其の証明十分である。
被告人等弁護人中
(一)弁護人神道寬次に於て
検事は被告人等が食糧緊急措置令第十一条の規定に違反する所為を為したものとして、本件公訴を提起したけれども、食糧緊急措置令は其の内容に於て、国家総動員法と同じく封建的、官僚的、独裁的なものであつて、国民の基本的人権を無視し、延いては日本国憲法の条規に反した無効なものであるから、同令第十一条も之が適用の余地は毫もない旨
(二)弁護人天野末治及同梶田茂穗の両名に於て夫々
食糧緊急措置令第十一条は「日本政府は日本国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障碍を除去すべし、言論、宗教及思想の自由竝基本的人権の尊重は確立せらるべし」のポツダム宣言第十項、「集会結社及言論出版其の他一切の表現の自由はこれを保障する」旨の日本国憲法第二十一条、「勤労者の団結する権利及団体交渉其の他の団体行動をする権利はこれを保障する」旨の同法第二十八条の各規定の精神を蹂躙する無効のものであり、殊に被告人等が農民に対し天下り割当供出反対、自主供出断行、生産調整米積立を主張し、之を実践に移したのは、従来政府の供米制度が所謂天下り的収奪制度であつたので、之を民主化しようとしたものであるが、若し之を違法だとすれば、夫れは明に前記ポツダム宣言第十項、日本国憲法第二十一条、第二十八条の各精神を没却するものと謂はなければならぬ。従て之を換言すれば被告人等の右運動は何等の違法性がないものと断じなければならぬ旨
(三)弁護人天野末治、同西村美樹の両名に於て夫々
被告人等が昭和二十一年度産米に関し、本件に所謂天下り的割当供出反対、自主供出断行、生産調整米積立の言動を為したのは、花岡町及一志郡の各農民に対し為された昭和二十一年産米の政府の買上割当が過重なものであつて、農民としては之に応ずれば其の飯米をすら確保し得なかつたので、之に対し農民の生活権、生存権を確保しようとして為されたものである。然らば、国民の生活権と生存権は日本国憲法が保障するところであるから、国民の斯かる権利を侵害する政府の右割当は憲法に違反し無効のものであり、従て被告人等に於て之が阻害を煽動したと謂うが如きことは当らない旨
各主張するけれども、
(一)抑々食糧緊急措置令は国家総動員法が其の第一条に於て明かなように、戦時に際し国防目的達成の為、国の全力を最も有効に発揮せしめることを目的として制定されたのと異り、終戦後に於ける我国食糧事情が極度に逼迫したのに鑑み、之に対処する為、政府に於て、終戦前から採用して居た食糧管理制度に関し、(一)主要食糧の強制収用、(二)生鮮食糧品の統制、(三)不正受配者の厳罰、(四)供出阻害行為の取締等の各施策を夫々強力に推進し、以て国民食糧の確保及国民経済の安定を図るべく食糧を管理し、其の需給及価格の調整並配給の統制を行うことを目的として制定されたものであつて、所論の如く封建的、官僚的独裁的な内容を有するものでないばかりか、之に依つて日本国憲法が保障して居る国民の基本的人権は却て擁護されるところが尠くないと認められ、日本国憲法の条規に反する廉あることは之を毫も発見し得ないのである。然らば之と見解を異にする所論を前提とする右(一)の主張は其の理由がなく、
(二)次に右食糧緊急措置令中第十一条の規定は、供出阻害行為の取締に関するものであつて、政府としては前説明のように、終戦後我国の食糧事情が極度に逼迫して居た折柄、国民食糧の確保を促進する必要に迫られ、生産者に対し其の可能な範囲内の供出を期待して之を強制すると同時に、其の供出を阻害するような言動を為す者に対し、之が取締を厳重にすべきことを要請され、茲に該規定を設定したのである。然らば右第十一条の規定は我国に於ける現下の食糧事情に照し、洵に避くことの出来なかつた妥当な措置と謂うべきであり、之が、ポツダム宣言第十項、日本国憲法第二十一条、第二十八条の各規定の趣旨に副はないものとは解し得られない。尤もポツダム宣言第十項に於いて日本国政府は日本国民間に於て民主主義的傾向の復活強化と之が障礙の除去並言論、宗教及思想の自由並基本的人権の尊重を確立すべきことが要請され、日本国憲法第二十一条に於て集会、結社及言論出版其の他一切の表現の自由が、同法第二十八条に於て勤労者の団結権及団体交渉其の他の団体行動権が夫々保障されて居るが、日本国憲法に於ても右の集会結社及言論出版其の他一切の表現の自由と謂い、将又勤労者の団結権及団体交渉其の他の団体行動権と謂い、夫等は孰れも日本国憲法に所謂公共の福祉に反しない限りに於て保障せられるのである。左れば現下我国に於ける窮迫せる食糧事情の打開が、偏に生産者の旺盛な供出に俟つ外ないが如き場合に際し、生産者に対し供出の阻害を煽動するが如きことは、公共の福祉に反し到底日本国憲法の容認するところとは認められないのみならず、ポツダム宣言第十項の要請にも副はないものと断じなければならぬ。被告人等は夫々判示認定のように、右に所謂供出の阻害を煽動したものであり、之が違法であることは敍上説明に依り明かであるから、右(二)の主張も其の理由がなく、
(三)更に進んで所論(三)に所謂政府の割当は、食糧管理法に基いて適式に為されたものであり、然かも之が当該生産農民の生活権、生存権を侵害する程度のものでなかつたことは、原審証人片柳真吉に対する証人尋問調書中同人の供述記載、並当審証人村上茂利同中西甚七が当公廷に於て為した供述に徴し認め得られるので、之と見解を異にする所論を前提とする右(三)の主張も亦其の理由がなく、
結局右弁護人の各主張は孰れも其の理由がないので採用するに由がない。
法律に照すと被告人等の各判示所為は各食糧緊急措置令第十一条に該当するが、右は孰れも夫々犯意継続に係り、然かも、昭和二十二年十月法律第百二十四号刑法の一部を改正する法律施行前の行為であるから、同法律附則第四項に則り刑法第五十五条を適用して食糧緊急措置令第十一条違反の罪とし、孰れも其の所定刑中懲役刑を選択し、其の所定刑期範囲内に於て、被告人遠藤陽之助を懲役壱年、被告人丸島浅次郞、同川口初蔵の両名を夫々懲役拾月、被告人倉口芳蔵、同丸島良一の両名を夫々懲役六月、被告人池端勘七を懲役八月に処することとし、被告人丸島浅次郞、同倉口芳蔵、同丸島良一の参名に対しては、孰れも犯情に照し刑の執行を猶予するのを相当と認め、刑法第二十五条刑事訴訟法第三百五十八条第二項に則り、本判決確定の日から各参年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用中主文第三項掲記の分に付いては刑事訴訟法第二百三十七条第一項を適用して、主文第三項掲記のように被告人等をして夫々負担させることとする。
尚被告人丸島浅次郞に対する本件公訴事実中
同被告人が昭和二十一年十二月末頃花岡町公会堂で開かれた食糧調整委員会に於て、之をリードし、川口初蔵を通じて政府割当を拒否して、反当二石三升二合の割合で自主供出量を決定した上、其の頃から昭和二十二年一月末頃迄の間に、各増産班長を経て各末端農家に割当通知を為し、又各農家から生産調整米を拠出保管せしむることを決定し、以て不特定多数の農民に対し昭和二十一年度産米を政府に売渡さないよう供出阻害を煽動したと謂う点に付いては
之を認めるに足る犯罪の証明が十分でないので、無罪であるけれども、右は同被告人に対する判示認定の各所為と一罪の関係に在るものとして、起訴せられたのであるから、特に主文に於て無罪の言渡を為さないのである。
以上の理由に依つて、主文のように判決する。(昭和二三年一〇月一八日名古屋高等裁判所刑事第三部)